なごり雪

僕には2つ下の幼馴染がいた。

勉強もスポーツもでき、その上、気立てが良かったので、たくさんの人達から愛されていた。

彼女が微笑むと、まるで爽やかな風が通り抜けたかのように、周囲は一瞬でやわらかな雰囲気に包まれたものだ。

そんな彼女にも、一つだけ足りないものがあった。

生まれつき聴力がなかったのだ。

 

小学生の頃、隣に住む彼女の母親から「何かあったら助けてやってね」とお願いされていたこともあって、僕はいつも彼女の傍にいた。

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中学生になると、近所の子どもだけが通う小学校とは違い、色んな地区から生徒が学校に集うようになる。

中には物珍しいのか、彼女をからかう奴もいた。

 

あの屈託のない笑顔しか見せたことのない彼女が、大きな目からポロポロと涙をこぼしているのを初めて見た時、頭に血がのぼって、いじめた奴らをこてんぱんにしてやった。

その日から、頼まれたからではなく、何があっても自分が彼女を守っていくんだという強い気持ちが僕の中に芽生えた。

今にして思えば、それは、彼女を「幼馴染」から一人の「女性」として意識した瞬間だったのかもしれない・・・

 

高校生になってからも、僕たちはいつも一緒だった。

そうあることが当たり前だと思っていた。

だから、高校3年生になり、大学への進学か就職かを担任から問われた時、僕は迷わず県内での就職を希望した。

 

工業高校出身の僕は、採用された町工場で技術屋としての腕を磨くべく、毎日仕事に励んだ。

そして、車の免許を取ってからは、彼女との過ごす時間が少しでも欲しくて、送り迎えをした。冬の寒い日なんかは、おんぼろの中古車は暖房がきなかくて、ホットコーヒーを二人ですすったのも懐かしい思い出だ。

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そして、彼女が高校3年生になった時、今まで一緒にいることが当たり前だった二人の関係に突然終わりがやってきた。

誰もが地元で就職をするものと思っていたが、彼女は都会の大学への進学を決めていたのだ。

彼女の母親からは「あの子に一人暮らしなんて無理よ。お願い・・・説得してみてくれない?」と涙ながらに頼まれた。

 

だけど、あの時の僕は頼まれたからではなく、僕自身が彼女を引き留めたい一心で、つい熱くなってこう言ってしまった。

「君は全然わかっていない!都会がどんな所かを。普通の人が一人で暮らすのも大変なのに、君のような難聴者には到底無理だ!!」

すると、いつもは穏やかな彼女が、紙に何かをなぐり書きする。

『私はいつも守られて生きてきた。でも、一度鳥カゴから羽ばたいてみたいの!自分の力で歩んでみたいの!!』

そう書かれた紙を両手で僕に突き出して、目に涙をいっぱい溜めて訴えた。

それを見た僕は、「勝手にすればいい」と冷たい一言を残して、彼女の元を去った。

 

それから数ヶ月が経ち、彼女が東京へ出発する日。

このまま別れてしまうことがどうしても出来なかった僕は、急いで駅へと向かった。

電車に乗り込む彼女の姿を見かけて、階段を駆け下りた。

僕の姿に気づいた彼女は、動き出す電車の窓から必死に何かを伝えようとする。

君の唇は「サヨナラ」ではなく、「ありがとう」と叫んでいた。

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そうして、大人になった君は僕の元を巣立っていった・・・

 

なごり雪

歌手:イルカ

(本来は「かぐや姫」の楽曲で、イルカはカバーしている)

作詞:伊勢正三

作曲:伊勢正三

編曲:松任谷正隆

※ 多くのアーティストによって、カバーされた名曲である